子ども脱被ばく裁判を支える会・東日本

放射能安全神話で偽りの復興をする福島県で放射能被ばくを訴える原告さんを支える会です。ストロンチウム90で太平洋産魚介類は汚染されてます、食べない方が良いと思います!

皆さま。

 大変遅くなり、申し訳ございません。

会見では弁護団の裁判用語が多くて、我々支援者には解りずらい会見でした、

そこで、当会の黒岩が弁護団に質問をして、解りやすくしたつもりです。

支える会。東日本の第三回口頭弁論:傍聴記です。

 

 既報の通り(〔bimbo:0188〕ブログを更新しました。12月1日第三回口頭弁論の動画:2015/12/03・7:37)、12月01日15:00より「福島地方裁判所」で「子ども脱被ばく裁判」第三回口頭弁論が行なわれた。その大要については、各関係者ブログに動画を含め、それぞれの記事が掲載されているので当「支える会・東日本」では、多くの方々が視聴なさったと思われる動画2本、及び法廷での実見(撮影禁止の為、映像はない)を踏まえ、報告を書き、ブログ映像の補完をしたいと思う。とりわけ本法廷でもっとも緊迫した「子ども人権裁判」の”門前払い”を食い止めた経緯─その辺りに焦点を絞って。

 

  • 「進行協議」から法廷(口頭弁論)へ

 A. 進行協議

 (註─本訴訟のような多数の訴訟では、予め裁判官・原告&被告弁護士:三者による打合わせのような、形式の協議の場が設けられるらしい。裁判をスムーズに運営させる制度か)。

 今回、先ず初めに注目されたのが02:00~03:00の時間帯に行なわれた「進行協議」。13:00過ぎの出発式で井戸弁護士による「弁護団挨拶」の中で、これははじめて語られ、内容は16:30以降の「記者会見」及び「意見交換会」の席上で明らかになった。井戸弁護士によれば、それは、裁判長による「子ども人権裁判」の本日での終決(却下)の意思表示が露骨に示されるなかで行なわれたという。被告側からの新たな動き(反論書面の提出など)はなく、今回原告側が提出した測定結果・訴状(追加)に関し、裁判長は書類でなくとも良い、口頭で陳述せよ!と迫った由。これは何を意味するか。文書で提出すれば、それは次回にその反論書類の提出が要求され、次回が約束されることになる。ところが口頭でということになれば、それはその場で結審!となる危険性を孕む。裁判長の腹一つ!これだけは阻止せねば!と直感したという。これは裁判長による”結審誘導”であったのか。従ってこれには乗れない!ということで裁判長には言わせるだけ言わせておいて、皆さんの待つ03:00以降の「口頭弁論」にまで論述を保留したという(そこでもし仮に反論などしてしまうと、肝心の本裁判での迫力が著しく欠けるという理由で)。ということで、そこでの弁論はせず、時が過ぎるのを待ったとの由(内容については、UPLAN「動画」(裁判所前リレートーク・記者会見・意見交換)33~35分(周辺):参照。尚、以下UPLAN「動画」については「動画」と略す)。

 

 B. 口頭弁論

 (註─「第一回」は傍聴者が多く、裁判に最も近くにある方々=福島からの参加者を優先、傍聴席に入って貰った為、わたしども”東京”からの参加者の多くは傍聴席に入ることができなかった。傍聴席は、約40席程度。それでも”福島地裁”では最も大きな部屋での審議だという)。

 前回の「第二回口頭弁論」とは、その当初から様相が一変していた。前回は、裁判長を間に原告側・被告側両弁護士から提出された書類(訴状・記録・それに対する反論など)の確認が行なわれた程度。互いに双方の書類(提出No.で)を間違いなく受け取っていることを裁判長の読み上げるNo.で確認するという形式的手続き。だから、それを見聞しているわたしなどは、今回も又前回同様のやり取り→それで閉廷!と半ばタカを括っていた。

 ところが、

 

  井戸弁護士による追加書面:地図の提出

 前述の「進行協議」で既に弁論の準備が整っていたか?開廷と同時に間髪をおかず井戸弁護士による今回の弁論のポイントの一つ─「安全な場所(での教育)」を具体的に示す地図の追加申請の説明が始まった(内容については、「動画」33~35分辺:参照。地図に関しては、同(進捗状況・出発式)1時間38~44分付近:参照)。続いて崔弁護士による「準備書面」(確認訴訟から給付訴訟への変更の説明か?)の弁論があり、ここまで約20分ほどが経過したか。これに対し、被告側代理人として川俣町の依頼を受けた弁護士が「場所の特定に具体性がない。従って却下!」(が順当)の声を裁判長に懸けたのだったか(メモにはそう書いてあるが、聞き違えもある?)。これを受け、裁判長のもっと具体的資料(地図)の提出要求があったのだったか?(声が小さくクグモリ聞き取りづらい)。後に「記者会見」の席、井戸弁護士による説明がなされて明らかになるのだが、その直後に光前弁護士による井戸・崔両弁護士とは全く異なった論告が始まったような気がする。

 

 光前弁護士の論述

 (註─今回の口頭弁論で話の流れを変えるハイライト的陳述であったのだが、これは弁護団として準備していたものではなく、裁判長の態度・発言などから判断した光前弁護士の機転によるもので、次回までに弁護団として統一見解を準備する必要が迫られている。但し、この論述がなかったら”却下!”の一言、「子ども人権裁判」は終結していたかもしれない。それほど今回の弁論は、瀬戸際にあったことも確か。「記者会見」の冒頭”まとめ”で井戸弁護士が、”なす債務”・”与える債務”の観点を弁論に持ち込んだ光前弁護士の機転を讃えているのも、この理由から)。

 それは余りに唐突に始まった。その論述のキッカケがわたしのような者にはよく把握出来ていない。裁判長が「却下!」に傾くなんらかの発言をしたのだったか。その瞬間を捉え、光前弁護士の発言が始まったのか。明らかにそれまでの井戸弁護士が行なっていた陳述とは違う内容がそこから語り出されたように思える。但し、それを明快に説明することができない。何故か?一つはわたしたちが法廷に不慣れであること(当たり前である。裁判所に親しんでいる人間がいる方がおかしい。誰も好き好んで裁判を受けるなどありえないからである。今裁判がそうであるように否応なく追い込まれ、原告となり裁判に挑んでいるのだから)。そしてもう一つはそこで使われている”法曹界言語”がわたしたちが使う日常言語とはほとんど無縁であり、法律的知識がないかぎりそれを理解することができないこと─この不慣れと言語障壁による二重の障害がわたしたちを著しい混乱に陥れる。光前弁護士は何を語ろうとしたのか?正直に言って何が語られていたのか全く理解出来ていない。それは「記者会見」・「意見交換」の席での”光前弁護士の発言”でもほぼ同じ(「動画」(記者会見:36~38分周辺の井戸弁護士による説明、及び43~47分の光前弁護士の裁判長が何を考えているかを推理した解説と説明。確認訴訟から給付訴訟に切り替えた後の裁判長の思考の変化→”与える債務”から”なす債務”へ)─おそらくこれについては、その場に居合わせたほとんどの人が(傍聴人及び被告席の役人も含めて)理解不可能だったろう。光前弁護士の発言に〈安全な場所に関しては書面で明らかにしてあり、それをどうするかは行政(各市町村の担当者)が考えること〉という主張がなされているが(同「動画」44分付近)、おそらくこの考えに即してこの陳述は始められたと思えるが、とは言え、それがそれまでの井戸弁護士らの陳述内容とどう繋がっていたか。ない頭で類推するに、光前弁護士は、咄嗟の判断で”教育の場”の提供には能動的債務を負う学校関係者と受動的債務者である”子どもたち”がおり、学校教育者には能動的債務=安全な環境を提供する責任があり、子どもたちにはその安全を享受できる権利がある(それの逆もありうるのか?)、とでも主張したかったのか。この辺りの事については正直言って何も分からない。今直ぐにでも光前弁護士に尋ね、明快にしたいのだが、ここでは敢えてこの不可解さを不可解のまま投げ出しておく。何故なら、井戸弁護士が”まとめ”(「動画」記者会見に同じ)でも表明しているようにこの陳述については、次回までに弁護団として統一見解を纏めなければならないからである。それに先立ってこの場でそれを書いてしまうなど出来るはずもないからである。裁判は現在進行形である。弁護団がそれをどういう形で次回纏めるか。それを希望に2月25日を待つことしよう。少なくともこの光前弁護士陳述によって、第三回での”門前払い”は回避することが出来たのだから。

 そしてこのことが、図らずも被告席に詰め掛けた国・県を初めとする被告(総勢40名ほどか)の無言の圧力に応え、いかに理由を見つけ「却下!」の判断を下すかに右往左往する裁判官の思念とそれを阻止せんとする弁護団の思弁がぶつかり合う緊迫した場面を演出した(そうした緊張した構図を浮かび上がらせた)、といっておこう。

 

  • 原告:お二人による意見陳述

 今回も、第一回・第二回に続き、原告になったお母さん、お父さんによる原告とならざるを得なかった2011年03月11日以降の生活のありようを述べる「陳述書」が読み上げられ、放射能汚染による生活苦の現状が報告された。その全文については、これまで通り「子ども脱被ばく裁判の会」発行の会報「道しるべ」3号に掲載される予定。それをお待ち頂きたいと思う。

 

  • 傍聴の感想

 第一回口頭弁論後から弁護団によって「却下される怖れがある!」が叫ばれてきた「子ども人権裁判」。その如実な現場がここに現出した。その意味でその現場に立ち会えたことはなによりの収穫。何を理由に「却下!」をするのか?要は「訴状」に書かれた瑣末な内容をほじくり返し、裁判の入り口(門前)で裁判そのものを成立させないとする国・県、そして市町村。その拒否の姿が今回ハッキリとした─要は裁判をやらせない!ということ。ここまでの公判はその意思表示だったか。そこに垣間見えるものは、訴えを起した原告の人々(福島に住む親子さん)、放射被害を避けいち早く自主避難したご家族など、塗炭の苦しみを生きた福島の方々のこの間の”生”を全く理解しようともしない行政官たちの非人間的で、無慈悲な姿である。この国の行政官は、なぜ斯くも卑劣でありうるのか。裁判長とのやり取りの一端を見ただけでも、現在この国で行い行なわれようとしていることの何かが幻視できる。司法は一体何をやっているのだ。まともな弁論もせずその”トバ口”で「訴状」に言い掛りを付け、裁判それ自体をなきものとしようとしていることは明らかだろう。こうした愚行が許されてあっていいのだろうか。   以上  (文責:Y.K.)

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